パンの匂い

「パンを買いに行こう」
雨の降らない日曜日の昼下がり。よく夫に誘われて外出する。タクシ-は駅前のデパ-ト地下街の入り口に着く
パン売り場に直行して、出来たてのパンを適当に選んで買ってくるのは私の役目。夫は出入り口の横の長椅子に腰をかけて待っている。
「ハイ、ぬくぬくのパン
と差し出すと、私の手からパンを取るなり袋を開きパンを出し、その感触を楽しむようにしながら、かぶりつく。
「格好が悪い」
最初の頃は止めていた私も、幼児のような夫の笑顔とパンを半分に割って、
「食べよ」
とすすめる夫の迫力に負けて二人並んで食べることにしている
遠い昔、捕虜になった夫は、シンガポ-ルの作業場の横がパン工場で、空腹でパンを焼く匂いがたまらなかったと言って、「異国の丘の歌」を口ずさんだり、パンを喰べたりする横で、黙って見ている私。こんな穏やかな老後のひとときが持てるのも、平和な日本であるからだ、と何かに祈っている私のこの頃です

(木村 喜美子)